独り言2


夢でCoccoが流れてた。Coccoと共に朝起きた。

 

 

著しく身体が動かない。「はぁ、マジか。」しかし動かないのは慣れっこだ。諦めるしかない。ごめんなさい。

どうにか復帰できないか「Cocco」「鬼束ちひろ」あの辺りを聞いてどうにか生きようと試みる。あぁ無理だ。無理なのは無理。今日無理!とてもじゃないけど、欅坂46を聴くパワーがない。

 

 

「死にたい・・・・。」

心配することはない。よくあることだ。よくあることだし、死にたい発作が起きている時の方が哀しみとお友達でいれるのでアウトプットにトゲがない。感情の底辺にいられる方が誰かを傷つけにくいから、最近この死にたいモードも割と好きである。

 

 

 

「踏んで」

生きるために加虐が欲しくなる、本当はリストカットなんてすれば直ぐ気が治るのかもしれないけど、唯一の命綱である施術ができなくなったらそれこそ「死ぬ」ので身体は傷つけない。もし死ぬなら大好きな海で溺れてしにたいなと思い電車に飛び込むことも選ばない。

 

 

人権がない状態に安心する。踏まれて、叩かれて、ひどい目に合わされて、相手の欲望をぶつけられて、私は生きる。

 

 

基、誰かのために生きないと死んでしまう。自己犠牲的とか言われるけど、そんなことなくて人様に何か良い影響を与えてないと、不器用で・人に迷惑かけて・クズな自分は大きな粗大ゴミだな〜なんて思う(だから、私には起業するだけのパワーが出る)

 

 

大きなパワーが燃焼して焼け切ったとき、残るのは、からっからの炭で「パワーを送らなきゃ」「生きなきゃ」「死んじゃいけない。」「しっかりしなきゃ」勝手に自分に科してるその枠組み・プレッシャーが良い時は良いが、調子が悪い時は自分にとって毒で、私を襲うので、そのプレッシャーが加虐によって外れた瞬間を「生」に安心する。相手の欲望をぶつけられて、私は生きる。

 

 

搾取的な加虐ではなく愛のある同意上で行われる加虐は、相手のエネルギー値が下がったところに生のエネルギーを送る行為だと思う。

受け取ることが多いから、思う。

加虐も優しいハグも性も本質的なものは一緒で、

相手の欲しいもの
手の痒いところへ
相手が拾える量

届けること。





それが大切なんだと思うよ〜私はね〜。

受け取った分倍返しで良いものを送り返したい。

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